嫡出推定制度についての議論の持つ意味

 このエントリは、講義ノートの切れ端を突貫工事でつなぎ合わせた問題整理的な覚書なので、構成等々に難があるとはおもうのですが、そんなものでも少しは意味があるかなぁと。

内容としては、
(1)嫡出推定制度の概観
(2)生物学上の親子関係ではなく法律上の親子関係を論じる意味
(3)嫡出推定制度についての議論の現状
(4)まとめ
と言う感じです。

(1)嫡出推定制度の概観

1-1嫡出推定

民法772条1項によれば、「妻(法律上の婚姻関係にある女性)が婚姻中に懐胎した子」であった場合は、その夫の子と推定されます。そして、民法772条2項によって、「婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内」に生まれた子は、「婚姻中に懐胎したもの」と推定されます。

1-2嫡出否認の訴え

民法772条1項の嫡出推定ですが、これを覆すためには、嫡出否認の訴え(民法775条)によることが求められます。離婚後300日以内に生まれた子についても、嫡出推定の及ぶ限り、この嫡出否認の訴えによることが求められます。

そして、この嫡出否認の訴えには、提訴権者が母の夫に限定されていたり(民法774条)、「訴え」を提起しなければならなかったり(民法775条)、提訴期間が「夫が子の出生を知った時」から1年に限定されていたり(民法776条)と、かなりの限定がかけられています。

現在では、「夫」に提訴権者が限定されている理由として「第三者によって家族の平和が破壊されることを防ぐため」など、及び提訴期間が1年に限定されている理由として「父子関係を早期安定させて子の身分を保護するため」などが、それぞれ示されています。

ということで、嫡出否認制度と結びついた嫡出推定制度の「推定」は、通常の「推定」よりもかなり強い力が与えられています。

1-3推定の及ばない子

ただし、判例上、そもそも「嫡出推定」の及ばない場合が認められています。「推定の及ばない子」と呼ばれる問題です。

「推定の及ばない子」については、「親子関係不存在確認の訴え(人事訴訟法2条2号)」によって、父子関係を否定することができます。誰からも訴えることができ、また、民法776条の提訴期間の制限もありません。

この「推定の及ばない子」となるのはどのような場合か、ということについては、大まかに、次の三つの見解があります。

第一が、「外観説」と呼ばれる見解です。これは、懐胎期間中の夫の失踪、事実上の離婚、夫の海外滞在、夫の収監など、懐胎期間中に夫との性行為のなかったことが、同棲の欠如によって外観上明白な場合にのみ、「嫡出推定の及ばない場合」を認める、と言う見解です。判例はこの立場です(最判1969(昭和44)年5月29日民集23巻6号1064頁、最判2000(平成12)年3月14日家月52巻9号85頁)。

この見解に対しては、救済されるケースが限定されてしまう、という問題点が指摘されています。

第二が、「血縁説」と呼ばれる見解です。この説は、外観説で示されている場合に加えて、血液型、生殖能力、DNA鑑定などによって調査をしたうえで、科学的・客観的に見て夫の子ではありえない、と言う場合にも嫡出推定は及ばない、とする見解です。

この見解に対しては、当事者が平穏な家庭生活を送っているにもかかわらず、第三者である真実の父が登場して、その平穏な家庭生活を乱し子の利益につながらない、しかも生殖能力、DNAなどというプライベートな事柄を暴くことにつながる、と言う批判があります。

第三は、「家庭破綻説」と呼ばれる見解です。この見解は、血縁説を修正して、父子関係の存否を争える場合を、戸籍上の両親の別居など、家庭関係が破壊された場合に限定する、という見解です。

しかし、この見解については、結局、夫婦のプライバシーを法廷で暴くという点については、血縁説と変わらない、という批判があります。また、例えば、「他の男」の子だとしても自ら育てる意思を持って、いったん「夫」が嫡出否認をせずに自らの子として育て始めたけれども、その後、「夫」の意思ないし「妻」の意思で別居をしてしまうと、家庭生活の破綻ということになり、父子関係の存否を争えることになってしまう、ということになり、安定した親子関係の構築という子の利益にそぐわない結果になる、という批判もあります。

(2)生物学上の親子関係ではなく法律上の親子関係を論じる意味

「生物学上の親子関係」ではなく、「法律上の親子関係」を論じる意味としては、次のようなものがあります。

第一が、子、とりわけ未成熟子の養育・監護を第一次的に行う義務を負うものを法定する、という意味です。つまり、未成熟子の養育・監護を法的義務と位置づけ、その義務者を「親」とするわけです。

第二が、「相続人」を定めるため、ということになります。法律上の親子関係のある場合の「子」には、「親」の財産の「相続人」としての地位が与えられます(民法887条1項)。

第三が、「血族関係」を定めるため、ということになります。例えば、扶養に関する民法877条が関連する規定です。

この三つのうち、やはり最も重要なのは、第一の理由、ということになりましょうか。

(3)「嫡出推定制度」についての議論の現状

以上のような「法律上の親子関係を生物学上の親子関係と別に論じる理由」を踏まえたうえで、嫡出推定制度についてのこれまでの議論について、その根底に流れる理念という視点から、二つの基本的な流れを見ることができると指摘されています(以下の記述は、大村敦志家族法(第二版捕訂版)』89頁以下(有斐閣、2005年)をまとめたものです)。

一つが、法律上の「親子」関係の成立を、法律上の「婚姻」関係とは切り離して、血縁の存在に委ねる、という流れです。これは、嫡出推定の射程を小さくする方向に議論が進められます。

 ここでの「婚姻中に懐妊した子はその夫婦の子である、という建前は維持すべき」との記述について、一般論としてはそうであることを認めたとしても、少なくとも生物学的な意味での父親が夫でないことが明らかである事例について、生物学的な関係に優先してまでそうした方向を守るのはおかしな話です。生物学的な親子関係がまずあり、それに法的な意味を付加するのがあるべき順序なのですから。違う言い方をすれば、いくら建前がそうであっても、事実が違うのであれば仕方がないじゃないですか、ということです。
http://bewaad.com/2007/04/08/65/

というbewaadさんの立場は、こちらの立場、ということになりましょう。さらに、このbewaadさんの発言について言えば、生物学上の親子関係があれば、当然に、その生物学上の親に未成熟子の養育・監護を行わせるべき、という考え方が背景に存在していると推測されます。

しかし、もう一つ流れがあります。それは、法律上の親子関係の成立を、法律上の婚姻関係と結びつけて考える、という流れです。つまり、法律上の婚姻関係にある妻が出産した子は、原則としてその夫の子として引き受けられる、そしてその夫がその子の養育・監護を行う(費用を負担する)ことになる、と考えるわけです。

この流れにある見解は、推定の力を強める嫡出否認と結びついた嫡出推定制度を、親子関係、とりわけ子の法的地位の安定化を図る制度であるとして重視することになります。つまり、この流れにある見解においては、嫡出推定制度は「生物学上の父子関係の認定が困難である」と言う理由だけでなく、「親と子の権利関係を規律する」という規範的な意図が込められて設計されている、と捉えるわけです。また、子の利益は「婚姻」という制度によってより良く守られるという発想が、この流れにある議論の根底にあると考えられます。

このような分析を基礎におくと、実は、この問題は、「法律上の婚姻」をどのように位置づけるか、という問題の延長にも位置づけられると考えられます。

前者の流れは、どちらかといえば、「家族」における「法律上の婚姻」の意味をそれほど重視せず、夫婦関係、父子関係、母子関係をそれぞれ切り離して個別に考える、と言う発想に近づきます。他方、後者の流れは、「家族」における「法律上の婚姻」に意味を持たせます。つまり、法律上の婚姻関係にある夫婦の基盤のうえに、子との関係がある、と捉えるわけです。

そして、少なくとも、(1)で見た嫡出推定制度の現在の解釈を基本に置けば、現行制度は、こちらの考え方に近いということがいえます(と言うよりも、現行制度に意味を見出すのがこちらの流れ、ということになりましょうか)。

とはいえ、この後者の見解を取ったとしても、嫡出推定制度の不備を修正する必要性が否定されるものではありません。大村敦志先生は、次のように述べていらっしゃいます。

 婚姻に存在意義を認めるのであれば、嫡出推定=否認制度の空洞化は「トロイの木馬」となる。それゆえ、推定の及ばない範囲を広げたり、DNA鑑定を認めたりするのには、慎重にならざるをえない。しかし、それは直ちに現在の嫡出推定=否認制度が完璧であるということを意味しない。現行制度のもつ欠点を修正するという営み自体が、婚姻尊重と両立不能なわけではない。
大村敦志家族法(第二版捕訂版)』95頁(有斐閣、2005年)

しかし、この修正をどのように仕組むか、という問題が難しいことについて、次のように述べられています。

 …。実際上、最も重要なのは、妻Xが夫Yと別居し性関係が途絶えた後に、Zとの性関係により妊娠し、子供Wが生まれたという場合、現行法の下ではWがXYの嫡出子となってしまうのを阻止することができないということである。このような場合、XとしてはYと離婚してZと再婚し、ZとともにWを育てようと考えていることも少なくないが、そうであるとしても、Yが嫡出否認の訴えを提起してくれない限り、WZ間の親子関係は成立しようもない。
 これは、嫡出否認の訴えが出来るのは夫Yのみであるということから生ずる難点である。かつては、夫Yが争わない限り、他のものが嫡出性を否認する必要は乏しかったのだろうが、今日では、妻Xにも嫡出性を否認する可能性を開くべきではないかが問題になりうるわけである。しかし、この制度設計はかなり難しい。フランス法では事実上別居している夫婦に関しては、妻が父の欄を空欄にして出生届を提出した場合には嫡出推定は及ばないとされているが、日本ではこのような届出は認められていないし(…)、仮に認めるとしても、今度は、妻はいつでも自由に子どもの嫡出性を否定できるのかという問題が生ずることになる。今後、なお検討を要する難問である。
大村敦志家族法(第二版捕訂版)』96頁(有斐閣、2005年)

(4)まとめ

以上のような現行制度に関する議論の状況に鑑みれば、

 さらに噴飯ものなのは、「長勢法相はPT案を『民法の根幹を真っ向から違う仕組みにするもの』と批判」とのくだり。だから民法は単に推定しているに過ぎない、つまりはPT案(DNA鑑定に基づく親子関係の戸籍届出)は現行民法が許容しているものなのです。貞操やら性道徳云々は大臣個人の問題であって肩書きの問題ではないとしても、法務大臣が誤った法律解釈を公言するのはいかがなものでしょうか。
http://bewaad.com/2007/04/07/64/

とおっしゃるのは、ちょっと言い過ぎなのではないかぁ、と感じています。民法で「家族」についての規定をおくことの意味それ自体にも関わってくる問題だと捉えられるわけですから。

ただ、法務大臣が、貞操義務だの性道徳だのをこの問題について持ち出したところに関しては、「噴飯もの」なわけです。あくまでも、「子どもの利益」がこの制度の中心に位置付けられるわけですから。結論として、「法務大臣が誤った法律解釈を公言するのはいかがなものでしょうか」という部分についてはまったく異論がありません。

なお、DNA鑑定といっても、「親子である確率X%」と言うかたちで出てくるだろうと思われます。となると、これで法律上の親子関係を発生させるか否かを判断するとなると、形式的審査権しか持っていない戸籍事務所掌者が実質的審査をする結果になるのではないでしょうか。だとすれば、この問題に限定したかたちで戸籍法での対処をはかる、というのも、現状ではちょっと難しいのではないか、という印象をもっています。

おまけ

読売新聞社説(4月5日)
…。
煩雑な手続きを嫌った母親が出生届をしなかったため、子が無戸籍のままという事例もある。
…。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070404ig90.htm

本当にこのような事実があるとするならば、釈然としないですね。何らかの制度的な不備があるとするならば、それを解消する努力がなされるべきということに異論はないのですが、その制度的な不備による不利益を自分(親)が背負うのではなく、子供にまわす、という態度ってどうなんよ、と思います。しかも「煩雑さ」がいやだから、っていうのは「面倒だから」ってことじゃないですか。そりゃひどいんでないのかい、と。親の離婚も再婚も生まれてくる子供に関わりないわけです。生まれた子供を幸せにできないのは、法制度のせいだけではないでしょう。