そりゃ壊れちゃいますって。

 …。それにしても、本格的な研究業績は、たしかに減っているようです。とくに、中堅が法科大学院で忙しいためというのはわかるのですが、若手の力作も減っているように思います。ひとつの原因には、研究指導をすべき中堅が、法科大学院に手をとられていることがあるのではないかと思われます。それが、学界全体としての研究水準と、ひいては教育水準を下げることになるのではないかと心配です。研究の停滞は、結局のところ、教育の停滞につながる恐れがあるのです。…。
天才たぬき教授の生活11月3日付エントリ

多分私も「若手」でいいんだよなぁ、ということで、一言。この理由も一つなのかもしれないですが*1、それよりも、雑用学務に押しつぶされているという理由の方が大きいのではないのかと。うちだけかもしれないんですが、働き盛りの中堅以上の先生方が賽の河原法科大学院に専任なり兼担なりで行ってしまわれて、その方々が学部にいれば、やって下さっていたであろう仕事がどこへ行くのかと言うと、こういった流れが上にあがっていくことはないのが世の常でして*2。。。
しかも、法曹養成以後の法学部のあり方、とか何とかいいながら学部改革なんてものに駆りだされるわけです。そこで、「これまでの法学部じゃダメなんだよ!君たちにはやる気がないのか!!」とかいわれるわけですよ、うちの大学の法学部に何十年もいらっしゃった方に、、、そりゃあんたは別組織にいきましたけどねぇ、、、そりゃないっすよ、、、あたしゃここに入って、っていうかこの業界入って4年目なんすよ(涙)。。。
しかも、研究者になろうなんて人間には、動かしたときの事務作業量だとか運営効率だとかを踏まえてシステムを組むというような能力がどこか欠けているわけですよ。その自覚のない方に、自覚のある人間が「それだとシステムがうまくまわらないのでは、、、」とおそれながら申し上げさせていただくと、「そんなことをいっているから君たちは!!」とかいわれちゃうわけでして。いやですからあなたはここにずっと、、、とはいえずに、能力ないけれどないなりに、ちゃんとまわるようにこっそり仕組む算段をこそこそ話し合っているわけです。ただ、それも今月までのはずと言うのが救い。でも「はず」と言うところに一抹の不安が。
そんな切ない状況のもと、若手の論文の停滞が「研究指導をすべき中堅が、法科大学院に手をとられていることがあるのではないか」と思われてしまうと、いずれ「君は学部にいたのに何をしていたんだい」なんてことになって、「まあ、人格的にも能力的にも君なんかより優れた法科大学院卒の研究者がいるから君は要らないよ、ばいば〜い」なんてことになって、まあ確かに人格的にも能力的にも自分には問題あるよなぁ、これからどうしよう、、、なんていう素敵な未来予想図が登場します。しかし、そんな未来を想うよりも、今週の授業の講義ノートっすよ。会議資料っすよ。あいかわらず論文読めないなぁ、、、
とはいえ、また性懲りもなく連載なんぞを始めるわけですが、その校正原稿を読んで、よくもまあ、こんなひどい日本語で原稿を出したもんだと。しかも、情けなくて涙がこぼれそうになったのは、自分で書いたはずなのに、「そうだったっけ?」と思うことが度々あったこと。そして、連載の最後まで原稿が出来上がってないこと。ちゃんと完成するかどうかわからないのが非常に切ないですねぇ。いちおうここまでを書きたくて院に入って10年の修行僧生活を送ることを決めたはずなのに。10年過ぎちゃいますねぇ。。。というよりも、これがあがったらもう抜け殻で、この先何も出すものがないです。どうしましょ。なんていってても何も好転しないわけで。結局は、今日一日の努力。明日もがんばろう。

*1:でも職を得てから研究指導っていうのもなんだかなぁと言う気もしますが。

*2:あがっていったら仕事が倍以上になって下がってくるなんてこともないわけではないわけですっすよし、、、