講義ノートの使いまわしでなんなんですが。

http://www.asahi.com/politics/update/1016/018.html
代理出産、「政府も検討必要」 塩崎官房長官
 塩崎官房長官は16日午後の記者会見で、長野県で50代後半の女性が娘夫婦の代理出産をしていたことに関し、「少子化の時代の中で、こういった問題について検討を関係省庁でぜひやっていくべきではないか。政府としても検討を行う必要性については認識をしている」と述べ、法整備も含めた対応を検討する考えを示した。
 塩崎長官は「人知れず子どもができないことで悩んでいる方が想像以上に多いと聞いている。気持ちは私たちもよく理解できる」と語り、代理出産を選択する夫婦の心情に理解を示した。

http://www.asahi.com/life/update/1017/005.html
代理出産「政府全体で検討が必要」 柳沢厚労相
 柳沢厚生労働相は17日の閣議後の記者会見で、代理出産について「これを支持する世論も見られるようになった」との認識を示し、「政府として世論の帰趨(きすう)を見極めながら、これからどうしていくか方針の検討は必要になるだろう」と述べた。
 代理出産をめぐっては、厚労省の生殖補助医療部会が03年に、代理出産を禁じる報告書をまとめている。柳沢厚労相はこの報告書に固執することなく、代理出産を認めることも選択肢に含めて議論し直す考えを示した。
 また、「親子関係など身分法上の問題もある」として、法務省を含め政府全体で検討していく考えを明らかにした。

ということで、その厚生労働省の生殖補助医療部会が2003年に出した報告書(以下「報告書」)というのがこれ。生殖補助医療全般に関わる報告書です。で、そのうちこの新聞記事にいう代理出産問題に関する部分は、これ

以下、報告書の関連部分を抜粋。

まず、この新聞記事で取りあげられている代理出産という問題は、この報告書では「代理懐胎」と名づけられていて、ここには、更に次の二つの場合が示されます。

第一が、妻が卵巣と子宮を摘出した等により、妻の卵子が使用できず、かつ妻が妊娠できない場合に、夫の精子を妻以外の第三者の子宮に医学的な方法で注入して妻の代わりに妊娠・出産してもらう場合です。報告書では「代理母」(surrogate mother:サロゲートマザー)と呼ばれています。この場合は、遺伝上の母と、分娩した母とは一致しますが、当事者が法律上の母とすることを望むのは、別の女性、ということになります。
第二が、夫婦の精子卵子は使用できるが、子宮摘出等により妻が妊娠できない場合に、夫の精子と妻の卵子体外受精して得た胚を妻以外の第三者の子宮に入れて、妻の代わりに妊娠・出産してもらう場合です。報告書では「借り腹」(host mother:ホストマザー)と呼ばれています。ここでは、遺伝上の母と、分娩した母とが異なる、ということになります。当事者が法律上の母とすることを望むのは、遺伝上の母です。

で、代理懐胎について、報告書はなんといっているか、と言う話になるんですが、そもそも、この報告書においては、生殖補助医療に関して、次の六つの基本的な考え方が示されます。

意見集約に当たっての基本的考え方
・生まれてくる子の福祉を優先する。
・人を専ら生殖の手段として扱ってはならない。
・安全性に十分配慮する。
・優生思想を排除する。
・商業主義を排除する。
・人間の尊厳を守る。

この六つの基本的な考え方をベースにして、

・両者(代理母と借り腹:筆者注)の共通点は、子を欲する夫婦の妻以外の第三者に妊娠・出産を代わって行わせることにあるが、これは、第三者の人体そのものを妊娠・出産のために利用するものであり、「人を専ら生殖の手段として扱ってはならない」という基本的考え方に反するものである。

・また、生命の危険さえも及ぼす可能性がある妊娠・出産による多大な危険性を、妊娠・出産を代理する第三者に、子が胎内に存在する約10か月もの間、受容させ続ける代理懐胎は、「安全性に十分配慮する」という基本的考え方に照らしても容認できるものではない。

・さらに、代理懐胎を行う人は、精子卵子・胚の提供者とは異なり、自己の胎内において約10か月もの間、子を育むこととなることから、その子との間で、通常の母親が持つのと同様の母性を育むことが十分考えられるところであり、そうした場合には現に一部の州で代理懐胎を認めているアメリカにおいてそうした実例が見られるように、代理懐胎を依頼した夫婦と代理懐胎を行った人との間で生まれた子を巡る深刻な争いが起こり得ることが想定され、「生まれてくる子の福祉を優先する」という基本的考え方に照らしても望ましいものとは言えない。

という三つの根拠が示されたうえで、

このように、代理懐胎は、人を専ら生殖の手段として扱い、また、第三者に多大な危険性を負わせるものであり、さらには、生まれてくる子の福祉の観点からも望ましいものとは言えないものであることから、これを禁止するべきとの結論に達した。

と結論づけられています。

ただ、少数意見について、次のような記述も。

なお、代理懐胎を禁止することは幸福追求権を侵害するとの理由や、生まれた子をめぐる争いが発生することは不確実であるとの理由等から反対であるとし、将来、代理懐胎について、再度検討するべきだとする少数意見もあった。

とまあ、こんな感じの報告書ということになります。

講義では、法律上の親子関係がどうなるのか、ってところもチラッと話したんですが、ここでは省略。

で、以下は、私の感想。

まず、報告書の示した三つの根拠はどれも深い問題をはらんでいると思っています。さらに、三つ目については、仮に、代理懐胎によって出生した子が、精子ないし/および卵子の提供者の期待とは異なっていた場合に、提供者がその子の引取りを拒絶したときどうするのか、という問題もはらんでいることを意味していると捉えられます。

また、生まれました良かった良かった、では済まず、その後、その子が成長していく過程に関しても、相当な制度的配慮をする必要がある、ということも確認されます。報告書では、生殖補助医療によって子をもうけた親に対して、カウンセリングの機会の保障子どもが生まれた後の相談が、また出生した子に対して、出自を知る権利が、それぞれ論じられています。

ということで、代理懐胎を含めた生殖補助医療に関して、関連する当事者が多く、しかもそれぞれの当事者に固有の感情的要因が備わりうる状態になり、しかも、長い期間にわたって考慮されるべき要素が存在し続ける以上、単純に「子供を欲する親の心情」だけに焦点を当てて論じることはできない、ということは確実ではないかと*1。さらにいえば、「世論」というなんだかわからない曖昧なものや、「少子化」という曖昧かつマクロな政策目標を根拠にしてしまえるような問題ではないということを、誰か教えてあげる人が必要なのではないかと。

もう一つ、仮に、報道で「代理母」ないし「代理出産」という語ではなく、「借り腹」という語が用いられていた場合、「世論」はどうなっていたんだろう。

*1:ネタばれ注意:宮部みゆきの短編で「この子誰の子」という題名(だったはず)の短編(『我らが隣人の犯罪』所収だったはず)は、代理懐胎を取り扱ったものではないし、小説ということを差し引く必要があるけれども、この問題では理屈で認識し得ない感情的要因がでてくる可能性を示唆しているように感じた記憶あり。また、ハッピーエンドになる筋にはできるけれど、どこか一つほんのちょっと崩れれば、バットエンドになって紛争勃発という微妙な問題だということも。