「美しさ」の感覚は人それぞれのもの

このSankei Webの記事に接して、ぱっと思いついたのが、芦屋市立美術博物館でみた「幻のロシアの絵本1920−30年代」という展覧会。おおらかで快活で生き生きとしてそれ自体として「美しい」と感じられる絵本が、共産党が介入していくことによって、みるみるうちにその輝きが消えていく、というさまを見ることができた。この展覧会では珍しく図録を買っていたので、引っ張り出してきてパラパラと読み直してみた。

…。スターリンが「偉大なる転換の年」と宣言した1929年以降、共産主義のイデオローグたちは「大衆にとって異質で理解できない」芸術活動に対する攻撃の手をますます強め、全体主義体制の権力を強化していった。3年後の1932年、党と政府の断固たる決定により、造形芸術のいっさいのグループは解散させられ、代わって唯一のソ連美術家連盟が設立される。「社会主義リアリズム」という教条によって移動展派の写実的な作品が世界芸術の発展の頂点として顕揚されるとともに、絵と実物を正確に一致させ、内容をプロレタリア階級に向けて「正しく」方向づけることが、芸術に許される唯一の手法となった。スターリンの似非古典主義がその時代のお墨付きの様式となり、社会主義リアリズムからのいかなる逸脱も腐敗したブルジョア階級の遺物とされ、「形式主義者(フォルマリスト)」と言うレッテルを貼られた。…。
アレクサンドラ・シャツキフ(古賀義顕訳)「ロシア・アバンギャルドの最後のきらめき」『幻のロシアの絵本1920−30年代』(淡交社、2004年)

「芸術」あるいは「美術」を「教育」に置き換えるとどうでしょう。強制的に国家が介入して「心」をどこかの方向に向けようとするという点に、直感で類似性を感じたのだろうなぁ、と自己分析。ぴったり一致はしないんだ、と信じたい。ちなみに、こんな状況で芸術家は絵本に活路をみいだしたけれども、芸術に対する粛清は結局絵本の世界にも到達し、作品を廃棄・焼却されたうえで銃殺された作家のリストはいくらでも長くできる、ということも書かれております。そういえば、ナチスも芸術においてリアリズムを礼賛したはず。これと似たようなものだったのかなぁ。
まあなんにせよ、ここのところ忙しすぎて美術館に全然いけない私は「真のエリート」にはなれないっすね、と言うところでおしまい。