うまく言葉にはならないのだけれども。

父は昭和一桁生まれでばっちり戦争経験者。きいた話のなかに、こんなのが。
ちょっと前まではその教師は「お國のために、陛下のために命をなげうって、ふんちゃらかんちゃら」といっていたそうな。その教員に満州行きを勧められていた生徒(しかも貧乏な層から選りすぐり)は、結局国民を敵前に放置してとっとと自分たちだけ逃げた転進なさった関東軍のおかげで、ソ連軍に殺された者多数。さて、その教師が、戦争に負けたらころっと変わって「これからは民主主義の時代です」としゃあしゃあと授業したそうな。そのときの父の感想、「ふざけるな」。
話はかわって、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたとき、戦場のど真ん中で、降伏を許さない軍からひめゆり学徒隊に解散命令が出たときの、なんとか生きて帰ろうという教師の言葉とそれを発したときの気持ちを考えるとその場にとどまっていることができなかった。
人を教える立場にいる人間は、やはり教えられる側よりも強い立場にある。誰かよりも強い立場にある人間は、言い訳をしようと思えばいくらでもできるのだと思う。しかし、そこで、もちろん教えられる側の運命の行く末の全てに責任を負うことはできないけれども、その運命ができる限り捻じ曲がらないように最後まで言い訳をせずに努力する責任はあるのだろう。それがいやならば転職すればいい。
だから何、といわれてもなんともいえないのだけれど、何はともあれ、まずは、戦争で教え子が命を落とすような状態にならないように自分のできる「不断の努力」というやつを地道にやっていこうかなと。何ができるのかわからないけれど。