こんなこと愚痴ってもしょうがないんだけど。

ほんとは、CL決勝なんて見ている暇なかったけれど、あまりにもストレスフルだったために。
そのストレスの原因がとある本で。以前もトライして結局途中で断念していたけれど、やっぱり読まないとかけないよなぁ、と一念発起。論文を読むにあたってできる限り先入観を持たずに臨もうとおもっているけれど、この本に関しては、やはりだめだった。理由は正直よくわからない。とりあえずは、「私は」とか「私の」があまりにも多いからという気がしている。「私は〜に賛成する」とか「私の立場からは」とか書かれると、「あんたが書いているのは分かってるんじゃあ〜」といちいち突っ込んでいる自分がいる。論文でなにかを表現しようする限りにおいて、その「なにか」と「自分」とはできるだけ切り離すべきだ、と考えているからこうなるんだろうなぁ、と分析してみた。内容と何にも関係ないところで違和感を感じてしまうと内容の理解にまでいたるのが極めて困難になるんだと自分を慰めながら、途中何度も休憩を入れながら、何とか最後まで。でも結局ちゃんと理解できなかった、というのが感想。
ちなみに、CL決勝を見る決心がついたのが、「私の推測では、…(をしな)ければならないだろう」という部分を読んだとき。「推測」から「しなければならないだろう」を引っ張ってくるってありですか?と突っ込みながら本を置いてリモコンのスイッチを。まあ、このおかげでCL決勝を見る踏ん切りがついたともいえて感謝といえば感謝。