「自由」と「特権」を入れたらうまく繋がらない文章なのですが・・・。

 「美術と建築の距離が近づいている」。これは美術や建築関係の人々との会話の中で、近年よく聞くようになったフレーズである。建築家が美術展にアーティストとして参加することもあれば、建築的な要素を持つ作品や美術作品として建築をつくっているアーティストもいる。多くの人が感覚的にであれ、経験からであれ、そのように感じていることと思う。しかし、私自身もそのような会話を交わしながら、美術と建築の何が近づいてきているのかということを深く考えたこともなかったし、具体的にどのように近づいているのか答えることもできないのが正直なところである。一体何が近づいているのか、それともじつはまったく近づいていないのか。本特集、「美術と建築の距離」はそのような疑問から始まったものである。
 本特集の構成を考えながら、気づいたことがいくつかある。ひとつは「近づいている」という言葉は無条件にポジティブなものとして認識されてしまうが、美術と建築が一定の距離を保ち、異なるカテゴリとして存在し続けることも、同様に価値であり、「離れている」ことは、近づくことと同じくらい重要であるということである。
長田哲征「美術と建築の距離」『SD2005』102頁(鹿島出版会、2005年)

自分のいる領域と違う専門領域で、かつ一定程度素人に開かれている領域*1に触れるのはとても楽しいので、実家に帰ると建築・デザイン関係の雑誌・書籍を手に取ることが多い*2。そんななかで出会ったのが上の文章。この文章を読んだ瞬間に、自分のなかで「『美術』と『建築』」が「『公法』と『私法』」に置き換えられてしまった。そして考え込んでしまった。自分の持っているイメージとすっと重なったからだと思う。

次の文章でも考え込んでしまった。

 …われわれの事務所では、…建築と密接に関わるアートプロジェクトを手がけてきた。
 …。
 しかし、これらプロジェクトの経験を通して感じていたことを、本特集の作業をしながら再び思い出した。それは「美術と建築が近づく必要があるのか」、という素朴な疑問である。これらのプロジェクトでは、相互理解と、美術と建築双方の自立のどちらもが等しく重要であった。相互理解が近づくことであれば、自立は離れていることにほかならない。そして、これらのプロジェクトから私が学んだものは、物理的に近づくことが必ずしも「近づいている」とはいえないし、離れていることが必ずしも「離れている」とはいえないということであった。
 建築家にとって、建築と美術がもっとも近づくことのできる場として想像しやすいのは、美術館であろう。そこには確かに建築家の作った空間に美術作品が展示されるという物理的に近い関係が存在し、建築家が、アーティストと接する機会の増加にも繋がっている。しかしながら、これらとは裏腹に、忘れてならないのは、美術館とは、美術と建築を異なるカテゴリとして明確に分離する役割をしているビルディングタイプでもあるということである。何をもって近づくと考えるかの方が重要に思う。この美術館という場における美術と建築の関係は、現代における美術と建築の距離を考察する場合、無視することはできない事柄ではあるが、事例のひとつに過ぎず、鍵となるのは別の何かであるように思う。
同上

「公法」と「私法」がもっとも近づくことのできる場として想像しやすいのは、環境法領域・消費者法領域・競争(経済)法領域などなどの現代法領域と呼ばれる領域であろう。これらの現代法領域を「美術館」にあたるものとして読んだとき、もちろん100%文脈が通るわけではないが、現代において「公法と私法」の関係性を考えるための重要な視角が導き出されてくるように思う。
最後に自戒を込めて将来の自分に向けた覚書。

 建築家が現代美術らしきものをつくろうとする場合では、建築の文脈を引っ張ってこようとするじゃないですか。ペットボトルでアーチをつくったりするのを見て、「ああ、建築家だからアーチか」とその短絡に幻滅してしまう……。自分が建築家だから現代美術の中に建築的な視点を持ち込まなければいけないと思っているように感じられてしまうのです。
 それはジャンルというものに対するある種の甘えだと思います。建築家だから許されると思っているのか、現代美術はこの程度だと思っているのかわかりませんが。というのも、美術館の中に美術作品として出すのであれば、あくまでも美術作品として作るべきだと思うのです
…。
 たとえば僕が建築を作るとなれば(たぶんつくらない、つくれないと思いますが)、自分の今までの作品とは無関係になったとしてもあくまで「建築」そのものをつくろうとするべきだと思うのです。違うジャンルで何かをするというときには、そのジャンルのことを徹底的にわかったうえでないとできないということです門外漢であることに甘えてはいけませんよく“ジャンルや領域、境界がなくなる”とか“建築とアートが融合する”ということが言われていますが、それはただその周辺を漠然と曖昧にしているだけにすぎません何もしていないというかそこでは何も起きていないむしろ徹底的に建築の領域の中で建築そのものを推し進める方が、そこにより面白い事態が生まれてくるのではないかと思うのです。もう、ジャンル間をただ移行させ、そのことで何かをずらしたりはぐらかしたりすることには可能性を感じません。
乾久美子(建築家)×田中功起(アーティスト)「(対談)美術と建築の幸せな関係」『SD2005』106-107頁〔田中発言〕(鹿島出版会、2005年)
太字による強調は引用者による。

*1:医学の雑誌なんて何が書いてあるのかさっぱりわからない。

*2:妹が建築学科なので。