ファン心理ってこんなもんなんでしょうか。

この週末は、所用で東京に。そして、いってみました資生堂ギャラリー*1
今回はpart1ということで、 今村源という人の作品の展示、というふれこみ。この人の作品を見るのは初めて。美術・芸術には素人なので、技術的にとかそういうことはわからない。けれども、あまりぴんとこなかった。どこかで見たことのあるようなイメージの空間。自分と感覚が合わなかったから何も感じなかったのかもしれない。芸術ってそんなもんでしょう。ということで、「ふ〜ん」という感じですっと帰ろうとして、階段を上がって、少し突き出している角に立って、何気なく展示スペースを覗き込むようなかたちで下を、それもふっと展示スペースではなく垂直真下に目をやりましたら。
いや〜、やられました。そこから急いで展示スペースに戻って、その作品だけかと聞いたらそれだけじゃないと教えてもらって。それからどのくらいかわからないけれども、至福のときを過ごしました*2
探す、そして見つける、そこでのうれしさ。
その作品自体の持つ美しさ。
そしてなによりも、その存在に気付く前と気付いた後で、その空間全体の持つ意味がまったく違うものになるという不思議な感覚。
さらに、最後に見つけた作品*3をボーっと眺めていたら、その前を、その作品にまったく気付かずに通り過ぎた方がいらっしゃって。その方に、その作品に気付いていなかったほんの数十分前の自分が重なって。作品に気づいている今の自分と、作品に気づいていなかった数十分前の自分と、そして気付かれようが気付かれまいがそんなことまったく意にとめずにただそこに存在している作品の、そのすべてを同時に感じられて。そんなことからも何か言葉にならない素敵な感情を分けてもらえました。
昔、インダストリアル・デザイナーの人のインタビュー記事で「インダストリアル・デザインは、日常普通に使うものにデザインを与えることができ、それとして非常に面白い。しかし、空間のデザインによって形作られた枠を超えることはできない。その意味で、建築家がうらやましい」という趣旨のことをいっているのを読んだことがあって、「なるほどな〜」と思っていました。けれども、今回、その本当に小さな作品は、その空間の持つ枠組それ自体を変えてしまう力を持っている、と感じました*4。そして、物にそんな力を与えることができるというすばらしさを感じました。楽しかったっす。その作者の作品と感覚のあわない人、あまり好きでない人には、まったく意味を持たないのでしょうが、芸術ってそんなもんでしょう。予定的にかなり無理をしないといけないpart3、part4にも何とかいきたいなぁ。

*1:http://www.shiseido.co.jp/gallery/current/html/index.htm

*2:ごめんなさい、今村作品ではないです。

*3:これは自力では見つからずに受付のおねいさんにヒントをもらったのですが

*4:ギャラリーという、いわば無色な空間だからかもしれないのですが。