三つ子の魂百まで

2月に入って仕事しかしていないのに、研究が全く進んでいないのは学務学務学務だから。。。そんな中のこんなニュース。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070221AT3S1602J21022007.html
社会人の基礎力、大学で・経産省が授業支援構想
若者が社会で仕事をする上で必要になる対話力や協調性などの「社会人基礎力」を身に付けさせる授業を各大学に導入する構想を経済産業省が打ち出した。企業と大学がカリキュラムを開発し、経産省がこれを資金面で支援する。…。
NIKKEI.NETより

たのむから余計なことをしてくれるなよ経産省。ただでさえ「ここは大学じゃないんだ」とみんなで集団自己暗示をかけながら仕事をしないと、上から降りてくるいろいろな制度を実現可能な状況にしていけないのに、、、そもそも「対話力」とか「協調性」は、就学前・小学校・中学校ではぐくむものだろう。18〜19歳までで「対話力」も「協調性」も身につけてない人間にそれらを身につけさせるのは難しいんだって。しかも、それを身につけさせる役割を担う人としては、それとしてトレーニングを受けた専門の人間でなければ危ないんじゃないでしょうかねぇ。「そんな技術をもった人を養成する」という話じゃなくて、「カリキュラムを開発する」と言う話になるところがなんだかなぁ・・・。どうしてこの国では、「教える」と言う技術がなぜにこれほど軽んじられるのか。「あることを知っている」ということと「それを相手に理解させる」と言うことの間に存在する距離、「自分で技術を身につけている」ということと「それを相手に身につけさせる」ということの間に存在する絶望的な距離は、実際に0から教えたことのある人以外でも想像できると思うんだけれども。
関係ない話をもう一つ。頼むからカリキュラムだの制度だのを変えればなにか効果が出るなんていう妄想はそろそろやめてほしい。学部なり大学院なりで長年教えていれば、その辺の「改革」は自己満足の度合いが高いってことを理解できるだろうに。