心の動いた日

前日の運動のけだるさが残っているなか、「今日はのんびり美術館に行こう」と。これは、前日から決めていたこと。
というのも、札幌に三岸好太郎美術館があることを知ったから。この人の絵を知ったのは、「美の巨人たち」のこの放送。この放送で紹介された「飛ぶ蝶」という絵について、テレビを通じて受けた印象と、ナレーションでの解説とが何か一致しないというか、違和感があって、「いつか実物を見てみたいなぁ」と思っていた。札幌にこの絵があるとはまったく知らなかった。これも何かの縁なのかな。

道立近代美術館

で、三岸好太郎美術館に行く前に、道立近代美術館に行ってみた。企画展は、「アミューズランド」という、子供から大人までといういうコンセプトの展示。現代美術ということでいいのだと思う。やはり現代美術はあまり好きではない。「おもしろさ」という視点しか感じられないからかもしれない。「この空間に普通は置くことのないものを、普通はそんな風に置かないように置いてみるとおもしろくない?」とだけ聞かれているように感じてしまう。それだけだとうんざりという感情しか湧かない。それだけではない言葉にならない何かを表現しなくていいのか、と。
芸術作品に触れる機会を増やす、というのはとても大事だと思う。そして、大人が子供の目線に立って子供に合わせたものを創る、というのも大事な道筋なのかもしれないが、どうも釈然としない部分が残る。「単純さ」というものには、単純な何かをそのまま表現した「単純さ」と、複雑な何かを磨き上げて創りあげられた「単純さ」とがあるのだと思う。表向き同じ様に見えても、言葉では表せない違いが何かそこにはあるのではないか。子供といえども、というよりも子供のほうが余計な邪念の少ない分、そういった部分を敏感に感じ取れるのではないか。もう邪念だらけの私には想像しかできないけれど*1
常設展(といっても企画物)のほうはそこそこ面白かった。絵の展示の方はあまり好みではなかったけれど、ガラス工芸の展示の方で、光とガラスの関係って面白いなぁ、とあらためて感じた。好きな作品と嫌いな作品ははっきり分かれたけれど。食堂で食べたパスタもなかなかおいしかった。

道立三岸好太郎美術館

道立近代美術館を出て、ちょっと歩いたところにあった。どちらの美術館も静かでとてもよい雰囲気*2。「人」に着目した展示だった。誰か特定の人を描いた肖像画はもちろん違うのだけれど、この人は絵のなかに自分が出演している気分で書いたのかな、という気がした。別の画家の絵を見て、映画監督のような気分で書いたのかな、と思ったことがあったのをあわせて思い出した。まあ、勝手にそう思い込んでいるだけ。
で、「飛ぶ蝶」。実物を見て、やはりテレビで見たときの印象は変わらなかった。といっても、放送で「蝶ノ冬眠ガ始マル/而シ押サエラレタピンヲハネノケテ再ビ飛ビ出ス事ハ自由ナノダ」という作者の詩と重ね合わせて作者の意図を示していて、それが作者自身の描いたときの気持ちなんだろうということに異論はない。あくまでも私自身の持った印象が違ったということ。「飛ぼうとしても飛び出しきれない、それでもそれは美しい」というのがそれ。何でそんな印象を持ったんだろう、とおもって絵をじっと眺めてみて、とりあえず考え付いた理由は二つ。一つは、飛び立とうとしている蝶の影。影にはピンが刺さったまま、というところ。もう一つが、他の蝶。飛び立っていなくとも、それとして美しく描かれている。人は、人である限り、人としての限界から逃れられず、さらには社会のなかでまったく自由であるということはない。どこかで何かに縛られている。それに甘んじていても人として美しく生きることはできる。もし、その束縛から飛び立とうとしても、それから逃れきれるものではない。しかし、それでも飛び立とうとすることそれ自体がやはり美しい。うまく言葉にできないけれど、そんな感じ。深い感情をわき起こさせてくれた。ずっと見ていて飽きない絵だった。
この「飛ぶ蝶」よりももっと深く感じ入ったのが「悪魔」という絵。小さいし次に見たときにはリンクがきれているかもしれないけれどこの絵。横になっていて展示されていた。それでも、足が止まった。解説を読むと、作者が30才のころ、絵のスタイルに悩んで、焦燥感に駆られて一気に書き上げた作品とのこと。この悪魔は間違いなく自分のなかにいる、と感じた。そして、この絵を眺めている間に、その悪魔がふっと自分の外のどこかに行ってしまった気がした。これまで自分がものすごく焦っていたことはどうやら間違いのないことらしい。そのことが客観的に見えて、気が楽になったのだろうか。「怠惰」という名前の悪魔が入り込んだだけなのかもしれないのだけれど。
ちなみに、この画家、31歳で死んでいる。いまの私と同じ年齢。私が生きながらえて、またこの美術館を訪れて、同じ絵をみたとき、なんて思うんだろう。

ちょっとお散歩

三岸好太郎美術館で、コーヒーを飲みながら、村上春樹東京奇譚集』を読了。『神の子どもたちはみな踊る」を読んだときには、自分では触ることのできない、けれど自分の真ん中にあるなにかを感じることができた気がした。けれど、今回はそれがなし。ちょっと残念。
そして、のんびり外に出て、ネットウォークマン*3のスイッチを入れたとたん、
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番&第2番
が流れ始めたわけで*4。美術館でいろいろ感じて感傷的になっていたのかもしれないし、周り一面雪の積もりきった道なんて自分にとって非日常の空間だったからなのかもしれないし、ラフマニノフがロシア人だということを北国と勝手につなぎ合わせたのかもしれないし。なんだかよくわからないけれど、普段聴いている感じとまったく違った。第1番のしょっぱなから、いつも以上にきらきらして美しく。よい気分になれた。ロックもヒップホップもジャズも入っていて、しかもいつもクラシックを聞いているというわけじゃないのに、しかも美術館を出たところで、この第1番がはじまったというところもなんだか言葉にならない気分になれた。第2番もいつも以上に良い気分で聴けた。とはいえ、そのおかげでなんだか電車に乗る気にならなくて、「二駅ぐらいなら」と思って歩いたのが運のつき。ホテルに戻ったころには身体の芯から冷えて。。。

そして温まる

その後、unamasさんともう一人後輩に飲みにつれてってもらって。センターで疲れているなかわざわざ出てきてもらって。とても楽しかったっす。いろんなことを考えた後でののみだっただけに、なんだかふわふわしていたかもしれないところが申し訳なかったのですが。この場をかりて、こころより感謝です。
ということで、心の動いた日。

*1:多分、法律の理論を知らない人に伝えるときにも、、、と考えたけれどうまく言葉にならないので思考停止。

*2:経営的には微妙なのかもしれないけれど。

*3:といっても数年前の機種なんですが。

*4:しかし、この解説をはじめて読んだ。なんだかすごくものものしい文章。そんなCDだったんだ、これ。というよりも、同じ曲のCDを聴き比べることはないからなぁ。今度やってみようかな。