日がくれてからは楽しかった。

完全に夜型の生活になっている身には*1伊丹9:00発でも十分にきつかったので、飛行機のなかでは報告のことは関係なくグースカ。千歳→札幌も同様。そりゃろくな報告にならないって。
北大は広かった。法学部研究棟へどう行ったらいいのかわからないので道を聞いたら途中まで同じ道ってことでやさしく案内してくれた。ありがとう、文学部のおんなのこ。
そんな現実逃避も長くは続かず、報告に。わかっちゃいたけれど、結局自分の考えていることがぬるすぎる、ということを確認。具体的内容については論文に反映させられるところは反映させて、そうでないところはあきらめて、ってことになるけれど、とりあえず、一般論として感じたことについての覚書。
ひとつは言葉の使い方。自分ではきっちり考えて定義づけて使っているつもりの言葉でも、相手にはその定義とは違う印象をもたれてしまうことがあるわけで。そのときには、定義よりも印象の方が強い力をもつことを再認識。とりわけ、一般的に使われている言葉は特に気をつけて使わないといけない、ということなのだろうな、と。
もうひとつは、外国法との付き合い方。これは、自分の報告、というよりは、同じ日にもう御一方のなさった報告*2を聞いて、ということで。正直にいって、自分はもう外国法を使った研究というものをしない、というよりもできないのではないか、と考えていた。外国語の能力が非常に貧弱であるというのがもちろん大きい。外国に留学して、そこで論文を書いて、ということをなさっている方や、学部から法学文献を外国語で読むゼミに入って学んでいらっしゃる方のブログなどを拝見すると、「私なんぞができることはございません」という気になる。さらに、自分の関心からすると何を対象としてどんな外国法研究をすればいいのか皆目見当がつかない、という最大の問題があって*3。けれど、もう御一方がなさった報告を聞いていて、当たり前のことながら、やはり、比較の対象としての外国法研究というものの持つ意味は大きなものだよな、ということを再確認*4。たとえ、論文として公表しうるレベルに持っていけなくとも、論文にする対象としてではない外国法研究という形での付き合い方の方法を考えないといけない、と思った。ただし、どうすればよいのかわからないのだけれど。
そんな報告会のあと、ごちそうになってしまって。とてもとてもおいしいお食事をいただいたうえに、夜遅くまで楽しくお話をさせていただいて*5。ここに書いてもしょうがないといえばしょうがないのですが、ありがとうございました。私なんぞを呼んでくださった先生方に心から感謝です。
(おまけ)こんなことを書きましたが、民法をやっている先生からも、最初は民法研究者として性質決定されなかったのには、さすがに凹んだ。

*1:夜の授業があるからで遊んでるからじゃないっすよ、本当に。

*2:私のなんぞより数百倍ちゃんとしてた。。。

*3:そもそも、自分の専門ではない分野の日本語論文を読むにあたって、まるで外国語文献を読むような気になってしまうほどへなちょこなわけで。この職業にむいていない気が、、、

*4:もちろん報告の内容についても、とても勉強になりました。

*5:周りの方には迷惑だったのかもしれないですが