印税が給料の10倍だってさ

ということで、また森博嗣。これは面白かった。国立大学と私立大学、理系と文系、といった差を感じる部分も多々あるけれど、大筋のところには強く共感する。例えば、こんなところ。

 大学における教育がときどき問題になって、もっとサービスをすべきだ、教育方法に工夫を凝らすべきだ、という声が聞かれます。例えば、一部には、自分の研究分野の話を滔々として、それを講義にしてしまっている先生がいるでしょう。全体の知識をバランス良く教えていない、という点で非難されるとは思いますが、しかしこれも、その話が面白ければ、それで学生が興味を持てば、充分に良い講義だといえると僕は思います。
 そして、そういった面白い講義とは、やはりその先生が、そのテーマに真剣に取り組んでいて、それが伝わってくる、そういうものではないでしょうか。若者というのは、本当に敏感で、先生が研究に打ち込んでいるその視線を必ず感じ取るものです。
 だから、使い古された言葉ですが、良い研究者であれば、自然に良い教育者だ、と僕は考えています。学びたい人間にとって、力のある研究者が身近にいることが重要であり、そういった人に接することこそが大学の最終的な、ほとんど唯一の存在理由でしょう。

157-158頁

もちろん、「学生が興味を持てば」という限定がついているところがポイントで、教員が自分の関心を学生に押し付けるというのは論外なわけですし、法科大学院のように資格試験をゴールにおく形態の組織での教育に関しては別の留保が必要になりますが、それでも、研究(何を持って研究というのか、というのも一つの論点ですが)をしてない教員は、やはり良い教育もできない、というところに共感したわけです。付け加えれば、研究をしていないということは、最新の議論をフォローできていないということにつながるわけですし。

 私学の先生なんかが、学生が多くて授業が大変だ、という話をされますが、それは多いから大変なのではなくて、やる気のない学生がたくさんいるから、邪魔だ、という意味でしょうね。これに対しては教員の力ではなんともなりません。目先を変え、講義やカリキュラムの工夫をする、といった教員側の問題ではなく、大学の運営側の問題に帰着します。要するに、私学だったら、理事会ですね。入れるだけ入れておいて「学生にやる気を出させろ」なんて、そんなことができるのは、ほとんど宗教団体でしょう。

162頁。太字による強調は引用者による。

「邪魔だ」というところにはすぐにうなずくことはできないです。が、「宗教団体」との表現には「言い得て妙」という感じをうけて笑ってしまった。やる気のない学生にやる気を出させることの困難さを上層部は是非認識してほしい。何か委員会をつくって会議を開けば何とかなるという筋の話じゃないわけで。抽象的な目的を設定したふりをしてカリキュラムをいじったりする時間がいかに無駄かってことに早く気付いてほしい。