景観利益

更新しないつもりだったのですが、シンポジウムについて、かなり刺激を受けたので、忘れないうちに内容と感想をメモっておくことにしました。レジュメと私のメモからの再現ですので、正確でないことが考えられます(そのため、後日追記、変更などを行う可能性があります)。

景観権訴訟の現状と課題(第1部)

概略

淡路先生は、私法上の権利としての景観権について問題になりうる点として、

  1. 不法行為の効果としての差し止め
  2. 景観訴訟で保護される法益

の二つをあげていた。
前者については、制度の趣旨、学説の議論を基礎に置いて問題とはならないとしていた。
後者については、一概には言えないとした上で、国立マンション訴訟については、地権者の土地の付加価値(宮岡判決*1)、人格権(多くの学説)の他に、ディベロッパーによる開発利益の独占という不公平という視点にも留意すべき、としていた。
角松先生は、国立マンション訴訟の市村判決*2と宮岡判決は、両方とも、山本隆司先生の行政法関係論のなかの互換的利害関係論から説明することが可能である、という共通点と、前者では景観利益が原告適格の問題に関わっているのに対して、後者ではそれが本案の問題である、という相違点を指摘した。そのうえで、包括的・持続的制御としての行政法的規制と繊細で状況反応的な制御としての民事法的規制という山本隆司先生の枠組みを紹介した上で、事前確定型規制の意義(透明性、予測可能性の増大)と限界(事前に客観的に妥当な利益調整を定めることの困難、非専門家による予測可能性の問題にも触れられていた)が示された。
井上先生は、実際の建築紛争の事例を分析し、建築紛争の構図として、

  1. 「建てる権利」に対抗する「環境や景観を守る権利」が確立していないこと
  2. まちづくりの将来像が定まっていないこと
  3. 主体の自律性の欠如

を示した。

感想

この問題に関する専門家中の専門家の淡路先生と角松先生による法理論的な話を聞くことができたのは大きな刺激になった。さらに、井上先生の建築紛争の分析も非常に明晰で問題の所在がより明確にイメージできるようになった。
そのうえで考えたこと。淡路先生も角松先生も、個別の私人のみずから享受する利益が法的に保護されうるのか、というアプローチから民法的規律と行政法的規律の関係を論じている様に思える。民法理論としては当然といえば当然だし、行政法理論的にも、公益を個別の利益の関係の複合に分析するという山本隆司先生の理論を基礎とするならば、これは当然の帰結となるのかな、とも思う。けれども、民法的規律と行政法的規律の関係を考えるにあたっては、公益の実現に対する私人の地位を根拠づける私法上の権利としての景観権の可能性を論じるというアプローチ*3も議論に加えることも必要なのではないか、これを行うことによって初めて「相互」補完となるのではないか、と感じた。

環境保全の最前線と課題(第2部)

概略

本田先生は、まずは身近にできること、という発想から歩道の景観に着目し、電柱、広告看板、ごみたばこのポイ捨て、手入れのされていない樹木を問題として掲げ、特に広告看板、手入れのされていない樹木に関する具体例を示した。
小澤先生は、都市景観/まちづくりの問題に関しては、地方自治体という単位では広すぎること、市民の能力、景観の客観的基準を示すことの困難、街づくりへの意識の芽生えは紛争がきっかけとなること、などを示したうえで、地域における団体を組み入れた制度の提案を提示した。
小出先生は、実際に街づくりに関わっている現場の紹介をしたうえで、街づくりにおいては、資産価値を高める開発(開発時が最大価値というのではない開発)の必要性、および役人にたより過ぎず自らも関与するというスタンスの必要性が指摘された。

感想

「私」からの「公共性」への関与を可能にするために、どのように法理論・法制度(公法・私法を問わず)を構成してくのかを考えることが重要となること、この問題には時間軸を入れることも考えないといけないこと、が認識できた。

環境保全の最前線と課題(第2部)

概略

後半のお二方については、私が疲れた状況のなかで、レジュメがなく早口だった(時間を気にされたのか)ので、フォローすることを断念した。
久米先生は、「私法上の権利として景観権を認めるべきか」という問題を「開発権vs景観権」という構図でとらえたうえで、「景観権という権利の外縁規定が困難なこと」をまず示した。そのうえで、コースの定理を基礎として「交渉による権利の売買が困難な場合権利の価値が高い側に初期権利を配分すべきであること」「権利購入の交渉費用が安価なものに初期権利配分を行う必要性は低いこと」をそれぞれ示し、前者については「多数当事者館の交渉では権利の売買が困難であり、かつ日本の都市景観が美しいといい難いのが通常」として、後者については「通常一人対多数者による権利売買の交渉費用は安くなく、他方、地方政府が、住民の支持を得て「開発権」を購入すれば、権利移転が実現する」との理由から、私法上の権利としての景観権を認めるべき、との帰結を導き出した。そのうえで、公法上の計画規制による都市景観保全・改善が必要である、とされた。

感想

経済学を勉強しないといけない、という思いを強くした。はっきり言って経済学がわかっていない。おそらく勉強不足だから出たものだと思うが、次のような疑問を持った。

  1. 前提として、開発業者の開発権=新規住民の居住権としてかまわない、ということがいわれていたが、既存の住民との継続的関係の有無という点は無視できるものなのか。
  2. フロアからも質問がでていたが、景観利益は「全て」土地の価格に還元できるものなのか。景観利益が地価に反映していることは実証的分析から明らかであるとの福井先生の返答があったが、景観利益の全てが適切に反映していることまで実証的に示されているのか。
  3. 関連して、そもそも開発権と景観権は同一平面上におかれうるものなのか。景観権を価格の問題のみとして捉えることに違和感をもつのは単に私が勉強不足だからなのであろうか。
  4. 私法上の景観権の外縁規定が困難であるとしている一方で、公法上の計画規制は可能である、とすることに矛盾はないのか。
  5. 「日本の都市景観が美しいといい難いのが通常」としているが、これは実証的に示されているのか。
  6. 居住者はなにも景観のみを基準として居住地を定めるわけではない。久米先生は、自らの望む景観をもつ地区に移転すればよいとするのは、妥当なのであろうか。

全体の感想

なにはともあれ、自分の勉強不足を痛感した。聞きにいって良かった。勉強するんだ、おれ!っていってもしばらくはペースをおとさないともたないんだよなぁ、、、

*1:民事で差し止めを認めた第一審判決

*2:行 訴法改正前における義務づけ訴訟の第一審判決

*3:地域的秩序の維持のための差し止めを主張する吉田克己先生はこの方向にあるのだと私は理解している